お笑い芸人ぜんじろうの現在について
ぜんじろうさんといえば、全国区の知名度こそありませんが、関西では知らない人がいないほどの有名芸能人です。一時は「平成の明石家さんま」として所属する事務所の吉本興業からプッシュされ、25歳時点で地元関西でレギュラー番組17本を抱えていました。
関西を制覇した彼は、ダウンタウンやさんまがそうしたように東京に進出。人気番組「天才・たけしの元気が出るテレビ」などに出演し、この世代を代表する芸人として躍動していました。
そんなぜんじろうは何故テレビの世界から消え、現在どういった活動をしているのか、元相方や太田光との不仲の理由など紹介します。
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現在は海外でプチブレイク
若くしてブレイクしたぜんじろうですが、30歳ごろにはレギュラー番組を全て失っていました。そこで一発奮起した彼は単身アメリカに渡米。英語を駆使し、日本人であることを逆手にとったネタなどでプチブレイクを果たしています。
こちらがテレビで干された後、新たな芸風を確立したぜんじろうさんのネタです。かなり英語の勉強をしたんでしょうね、綺麗に発音しています。
海外で成功したコメディアンといえば、日本人では腹話術師のいっこく堂さんがいますが、彼は腹話術という必殺の芸がありました。これに対しぜんじろうは「しゃべりのみで外国人を笑わせている」唯一の日本人コメディアンです。
あっという間に売れて、あっというまに消えてしまったので精神的にかなり参った時期もあったはずですが、このように奮起して自分の道を見つけられたのは立派なことではないでしょうか。
現在もアメリカだけでなく、韓国やフランスなどでショーを行っています。そしてこのまま海外を中心に活動するのかと思いきや、20年の時を経て、再びぜんじろうは日本でブレイクしようとしています。
大阪府の吉村知事が、ラサール石井さんのツイートに反論して『影響力ある立場なら『今だけはやめときましょう』位言えないのかね』。そんな優等生やったら芸人やってませんって(笑)あと、ラサールさんに『影響力ある』んだったら、安倍政権とっくに潰れてますよ(笑)https://t.co/8HZSdwJJaj
— ぜんじろう (@zenzenjiro) 2020年4月26日
ツイッターでも躍動中。 後述する爆笑問題太田とのバトルでバズった後に一定のフォロワーを獲得、吉村知事に噛みつくなど新たな居場所を見つけたようです。
爆笑問題太田光との喧嘩
日本国内で長らく第一線で活躍している爆笑問題太田光との喧嘩という、思わぬ形でぜんじろうは日本の視聴者から再び注目を集めることになります。
喧嘩の発端となったのは、電気グルーヴのピエール瀧逮捕です。
再び注目された理由
ワイドショーで東国原英夫などが執拗にピエール瀧を叩いていたため、ぜんじろうがツイッターで苦言を呈したところ、それがバズり、まずここで久しぶりにぜんじろうに注目が集まりました。
石野卓球氏のツイートの件。東国原氏の “社会人として大丈夫なのか” 発言ですが、麻薬の不祥事くらいで、ここまで騒いで、叩いて、ましてや容疑者でもないメンバーのツイートの中身をあげつらって、正義面でこんなに叩いて商売してる番組を平気でやってるほうが “社会人として大丈夫なのか?”
— ぜんじろう (@zenzenjiro) 2019年4月5日
↑こちらがその発言。
チャンスと見たのかぜんじろうはツイッターで躍動します。
これだけ世界各国に行ってコメディをやっていて思うのが、今の日本の『お笑い』のスゴいとこは、先輩や事務所の顔色を見たり、忖度したり、怒らせないように振る舞ったり、自分が傷つかない振る舞いをしたり、周りに村八されないための言動やネタは、世界一だと思います。
— ぜんじろう (@zenzenjiro) 2019年4月6日
今回、ヨーロッパでも、お客さんは自分が知ってなかろうが、売れてようが売れてなかろうが、相手は誰であれ、舞台に立つ人間に対しまず「敬意」があります。ここがいつも僕が感動するとこです。この国では自分が知らないと、まず「見下す」とこから入り、売れてると逆に「ひれ伏す」傾向は事実です
— ぜんじろう (@zenzenjiro) 2019年4月9日
この国の批判的な事を言うと「反日か!」と言われます。愛する表現は、褒めるばかりではない。 批判するのも『愛』です。本当の反日は「無関心 」な人です。
— ぜんじろう (@zenzenjiro) 2019年4月6日
part2
イギリスは "言論の自由が正しく理解されている国” で、もしコメディアンが『差別』以外のネタで問題を起こして脅迫とか裁判ざたになっても、プロデューサーはもちろん、メディアもコメディアンを守ります。日本みたいによってたかって問題発言を叩き、形の謝罪、その後自粛にはならない— ぜんじろう (@zenzenjiro) 2019年4月12日
当初は圧倒的に支持されていたぜんじろうですが、これら日本への苦言なども始まると、批判も混じった炎上系の注目への変化します。ちなみにぜんじろうのピエール瀧擁護には、石野卓球も反応しています。
麻薬の不祥事ぐらいw https://t.co/iAxRMH1Zn2
— Takkyu Ishino/石野卓球 (@TakkyuIshino) 2019年4月6日
(笑)
「麻薬の不祥事ぐらい」という言葉はちょっと余計だったかもしれません。天邪鬼の石野卓球から茶化される事になってしまいました。色々ありましたがとにかく注目が集まったのは間違いありません。
太田光との喧嘩『どっちが先輩なのか』
太田光がサンジャポにて「ぜんじろう」と呼び捨てしたことに対し、ぜんじろうがツイッターで噛みついたことでバトルが始まりました。
海外では、遥かに年下の同業者やお客さん、スタッフに Zenjiro とか Zen とか普通に呼ばれているのに、日本の芸能界で後輩の太田くんにサンジャポで「ぜんじろう」呼ばわりされてちょっとだけイラっとする不思議(笑)なんでしょうね?これって(笑)人の心って複雑ですね~(笑)
— ぜんじろう (@zenzenjiro) 2019年4月8日
↑ これに対し太田光がラジオで10倍ぐらいにして言い返し喧嘩(半分プロレスですが)になってしまいました。
爆笑問題のラジオでは、「面白くないから海外にいった」「俺の方が先輩」「昔は兄さんと言ってきたくせに」と言いたい放題言っています。
どっちが先輩か論争はぜんじろうと太田光の間で主張が食い違うようで、
心配してくれる方も、煽る方(笑)も、たくさんいるんですが、ラジオで太田くん、さん、さま、総理?が「文句あるなら来い!」って言ってくれたみたいなので、彼の昔の記憶がだいぶ間違ってるので、売名がてら(笑)キャラをつけてくれた『厄介な芸人』として、ラジオに乗りこもうかな(笑)
— ぜんじろう (@zenzenjiro) 2019年4月11日
ぜんじろうはラジオに乗り込むようなことも言っていました。そろそろ面倒になったのか、爆笑問題太田は反応が悪くなりましたが、ラジオでの直接対決を呼び掛けていました。ぜんじろうも応じていたので、そのうち実現するでしょう。楽しみですね。
ぜんじろうが先輩
太田光は自分が先輩と言い張っていますが、第三者の岡村隆史はぜんじろうが先輩だと主張しています。
年齢は太田光が53歳、ぜんじろうが51歳と太田光のほうが年上ですが、太田光が大学中退し88年に爆笑問題を結成したのに対し、ぜんじろうは高卒(大学1年で中退)で上岡龍太郎に弟子入りして芸能界入りしているので、恐らくはぜんじろうのほうが先輩です。
恐らく太田光はネタでいっているか、そうじゃないとしたらぜんじろうが弟子入りしてからではなく、彼が吉本興業入りしてから芸歴をカウントして勘違いしてしまったのかなと思います。
(吉本興業での同期は東野幸治や木村祐一。彼らは太田光の後輩にあたります。)
芸能村のルールではぜんじろうを先輩とするのが主流です。
干された理由
理由は2つ。
・大阪時代に調子こいてしまった
・東京で失敗の烙印を押された
かなと思います。まず大阪で売れまくっていた若手時代に、かなり調子にのっていてスタッフなどに強く当たってしまったという情報があります。
ぜんじろうは、テレビの壺という関西深夜の帯番組が成功して、
関西では若者を中心に人気者になりました。そこで勘違いしたぜんじろうは、局の若手スタッフに対して、
非常に横柄な態度をとっていたと。
やられたスタッフが屈辱と感じることも多々あったそうです。時は流れ、虐げられていたスタッフたちも順調に出世し、
社内ではそれなりのポジションに着き、
番組においてそれなりの力を持つことになった今、
「ぜんじろう?あんな奴使うか」となったとさ。
こちらはネット掲示板でのの書き込みですが、やしきたかじんの番組でぜんじろうが干された経緯についてこのように語られていたそうです。
あとはやはり東京で任された多数の番組全てで失敗してしまったのは大きかったです。完全に「使えない芸人」の烙印を押され敬遠されることになってしまいました。
ポスト明石家さんまや、上岡龍太郎の弟子という肩書から、本来のぜんじろうとは違う芸風を求められてしまったのが運の尽きでしたね。おまけに拠点を東京に移していたので、もはや彼に戻る場所はなく、上述したように海外に活動の場を求めることになります。
デビューまでの経緯が面白い
大阪芸術大学に合格した経緯は、ある意味ぜんじろうのネタより面白かったです。
高校時代酷い成績だったため、大学も本来は合格するはずがなかったのですが、「花瓶のデッサン」で教室全体を描くという変化球が深読みされて評価され、見事一芸入試での合格を果たすのです。
(面接でのスペインに絵画留学していたというウソも効いたそうです)
しかし数日で退学し、大学の学費などのために送り続けてもらった親からの仕送りで、しばらく豊かな暮らしを続けていたそうです。何とも芸人らしいエピソードですね。
上岡龍太郎の弟子
今日、師匠の上岡龍太郎にひさびさ電話でトーク。「遅れましたが、お誕生日おめでとうございます」と。お元気そうで何よりです。最近、師匠と話すとなぜか、泣きそうになるんですよね〜。鞄に入れていつも持ってる弟子上がる時に、いただいたこの手紙を、たま〜に読みます。 pic.twitter.com/GR4pZb325b
— ぜんじろう (@zenzenjiro) 2019年4月10日
島田紳助が慕っていた上岡龍太郎のお弟子さんです。
弟子になった経緯は、
その悠々自適生活の時期、大阪にて友人と遊んでいた時、偶然上岡龍太郎を見かけたのだが、ぜんじろうとその友人は、上岡を浜村淳と間違えていた。 上岡をチラチラと見ながら「浜村淳や」「あれ? 浜村淳とちゃうんちゃうか?」などと言っているうちに、その様子を見かねた上岡の方から「君ら、僕と握手したいんか?」と声を掛けてきた。これが上岡との初めての出会いであった。
その後また偶然上岡に会う機会があり、「また君か。これは何かの縁やな」とお茶に誘われ、一緒にお茶を飲む事になる。極限の緊張の中、ウケ狙いで上岡に「弟子にして下さい」と言った所、上岡は「ええよ」と承諾した。 「断られるだろうと思って言ったのに、何も知らん僕みたいなのを受け入れてくれた。感激して、そのまま、本当に弟子にして頂いたんです」
とぜんじろうが話していました。
上岡龍太郎さんは弟子を自分の事務所に入れることをしないので、その後ぜんじろうは吉本興業入りし、同期の東野幸治などと切磋琢磨した後に、上述したように太田光とバトルすることになります。
元相方の現在
ぜんじろうは実はデビュー直後は「月亭かなめ・ぜんじろう」というコンビを組んでしました。すぐに売れたことで重圧を感じたかなめさんが芸能界引退するという形でコンビは解散してしまうのですが、この元相方のかなめさんは、2011年にピンのお笑い芸人として芸能界復帰されています。
阪神タイガースの投手
岩崎〔いわざき〕の読み方
ややこしいから〔いわさき〕
でええんちゃうん?笑#阪神タイガース#岩崎— 銀河亭かなめ (@40Ginga) 2018年8月29日
↑こちらは元相方かなめさん本人のツイッターアカウント。現在は改名し「 銀河亭かなめ」として活動しています。
ちなみに2016年まではブログ(http://kanameginga.blog.fc2.com/?no=6)も書いておられ、ぜんじろうにも少しだけ言及していました。
ブログでは
コンビを組んでた頃より一人になってからの
方が笑える話が沢山あるので載せなもったいない
と思うので追って掲載していきます。楽しみ?にしてて下さい。
このような事も言っています。本来なら絡みがあっても良さそうな状況ですが、お互いに干渉せず、かなめさんのブログからもコンビ時代の仲は微妙だったことが伺えます。
嫁と結婚
2006年にアメリカで知り合った女性を結婚しています。
一説にはアメリカ人女性というウワサもありますが、お嫁さんはどうやら日本人女性のようです。お嫁さんや子供など家族の情報はほとんど出ていないですね。海外では日本より芸能人を尊重してくれるという彼の発言がありましたが、プライベートの在り方も他の日本の芸能人とは違う考えをしているのかもしれません。
昨日は、近藤哲也さん、瑞穂さんの結婚パーティに浜松町へ。和気藹々と素晴らしい会でした。なべやかん君。森田まさのりさん。にわのまことさん。格闘家の方々などもいらしていていて、おめでとうございます。末長くお幸せに。 pic.twitter.com/6xLHlOwqyp
— ぜんじろう (@zenzenjiro) 2018年4月15日
友人の結婚式には出席しておられます。
ぜんじろうの今後
太田光とのプロレスを再ブレイクに繋げたい所ですね。太田光は十分お膳立てしてくれました。
センセーショナルな東京進出失敗劇で、使えない芸人扱いされていますが、本来はガキの使いの菅プロデューサーにも一時目をかけてもらうなど、ぜんじろうの取扱説明書さえ読んでおけば、十分再ブレイクするだけの能力はあると思います。
まだしばらくぜんじろうブームは続いているので、日本での再ブレイクに繋がるかもしれません。今度のぜんじろうさんの活躍に期待しましょう。