ラモス瑠偉の現在について
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— 日刊スポーツ (@nikkansports) 2019年3月15日
現在もサッカーに携わり、お仕事はビーチサッカー日本代表の監督をしています。Jリーグの監督も経験がありますが、情熱家のラモス瑠偉にはビーチサッカーの方が合っている気がします。なんと3度目の日本代表監督就任です。w杯出場権も獲得しています。
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ホームシック問題と六本木
ラモス瑠偉といえば元々はブラジル国籍でした。子供のころからサッカーをやっていたラモス瑠偉ですが、ブラジルのサッカーレベルがあまりにも高く、これといった実績を残せずにいました。
9歳の時に父が亡くなったことで、更にサッカーに情熱を傾けて言ったラモス瑠偉は、体が細かったためブラジルではプロになることができませんでしたが、20歳を前にしてヴェルディ川崎にスカウトされ無事に日本でプロとなる事ができました。(父はなくなりましたが、頼る親戚がいたため、突然貧しくなったというわけでもないようです。日本行きは当然母親から反対もあったそうです。)
その後日本で頑張っていたラモス瑠偉ですが、ブラジル人らしくホームシックにかかってしまいます。しかし六本木で遊びを覚えてからは、ブラジルに帰りたいと言わなくなったそうですwさすが六本木ですね。
帰化した経緯
今と違って当時はスポーツ先導での帰化に馴染みがありませんでした。
しかしラモス瑠偉の場合、日本代表に入るために日本人国籍を取得したというよりも、当時所属していたJリーグのヴェルディ川崎が外国人枠を有効に使うため、所属クラブ主導で行われた日本への帰化です。かなり迷ったそうですが、後述する嫁さんを外国人の自分にくれた相手方の家族のため、そして日本のために日本人になる決意をしたそうです。既に30歳近くになっていたので相当な決断だったと思います。
こちらは全盛期のラモス瑠偉プレー集。ボールタッチが柔らかく、日本の10番というのも納得の実力でした。日本代表に初めて選出した時にうれしさのあまり涙し、自分はもう日本人なんだと強く意識したそうです。
帰化選手の問題点
近年の帰化選手は現役を終えると母国に帰国することが多いです。
呂比須ワグナーと三都主アレサンドロ。
どちらの選手も日本代表に貢献してくれましたが、引退後はブラジルに帰ってしましました。呂比須ワグナーに至ってはJリーグのアビスパ福岡などからオファーがあり、後々日本で指導者になるようなことを言ってましたが、ずっとブラジルにいます。
その点ラモス瑠偉は引退後もずっと日本にいてくれています。国籍だけでなく心も日本人になり日本を愛してくれているんだと思います。まあブラジルも素晴らしい国ですし、三都主や呂比須はラモスと違ってタレントとしての仕事がないので、帰国するのは仕方ない面もあります。
岡田武史監督との仲
ラモス瑠偉が最後に日本代表に選出されたのは1995年なので岡田監督がコーチ時代に接点があったぐらいですが、1998年ワールドカップの時にカズを落選させた岡田武史監督にラモス瑠偉が怒っていたことはあります。
ワールドカップで3連敗した日本代表や、カズの代わりにワールドカップにいって何もできずガムを噛んでニヤニヤしていた城彰二にキレたこともあります。(城彰二は緊張の緩和のためにそのようにしていた説があります。)
しかし現在は丸くなったんでしょうね。ここ最近はTV番組の企画などで木村和司なども交えてサッカー討論をしている場面もありました。
北澤豪だけはいまだに岡田監督を許していませんが、カズとラモスは岡田武史と仲良く接することも増えてきました。現役時代はギラギラしていたアスリートが引退して丸くなる姿は個人的にとても美しいと思います。
その北澤豪とラモス瑠偉とは友人としてとても仲良しですが、喧嘩したこともあります。
北澤剛と喧嘩
これは東京の青山ですw
オシャレな恰好をした二人がオシャレな場所で口論をしているところが目撃され写真もとられてしまったことがあります。ちなみにこれはテレビのどっきり企画でもなんでもなく、警察官が介入して喧嘩が収まったそうです。もちろん手は出していませんが、この二人が口論してたら目立ちますからね。
しかし現在は仲直りしています。大人になってからの喧嘩はなかなか仲直りが難しいんですが、ラモスと北澤は少年の心を持っているんでしょうね。(だからこそ喧嘩したんでしょう)
ラモス瑠偉の現在
お仕事は冒頭でお伝えした通り、ビーチサッカー日本代表の監督をしています。こちらは近影。なんとロナウジーニョと会う機会があったようです。
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タレント活動も並行しているので、ドラクエのコスプレもしています。北澤とまた仲良しになれてよかったですね。
結婚と別れ、そして再婚
ラモス瑠偉が日本人になる前に負った大怪我で入院していた際、何度もお見舞いにきてくれた彼女の清水初音さんという日本人女性と結婚することに。ラモス瑠偉が日本代表入りし、日本のサッカーに貢献してくれたのは彼女の影響もありました。
サッカー選手といえばモテモテで遊び人が多いですが、この日本人女性の嫁さんとはおしどり夫婦として知られていました。しかしラモス瑠偉が54歳の2011年に初音さんは亡くなってしまいます。親戚はブラジルにいるため孤独になってしまったかに思えるラモスですが、彼には息子と娘、そしてサッカーがあるので、それが救いになったんじゃないでしょうか。
豪邸は元嫁の母親にプレゼント
再婚はしないと語っていたラモス瑠偉さんですが、3回忌が過ぎてから20歳年下の女性と再婚されています。しかし住まいは所有していた一軒家ではなく、賃貸のマンションです。何と以前住んでいたご自宅は、前の嫁である清水初音のお母さまに差し上げたそうです。
これは中々できることじゃないですね。清水初音さんのお母さんもラモス瑠偉に娘を上げてよかったと思っているんじゃないでしょうか。
指導者としての実力
Jリーグ時代監督時代は確かに微妙な実績ですが、2年目のヴェルディ川崎時代はリーグ2位とそれなりの成績を残しています(JリーグといってもJ2ですが・・・ヴェルディは最初名門だったんですけどね)。ビーチサッカーでは3度も監督に就任していますし、ワールドカップでも最高4位の成績を残すなど手腕を発揮しています。
年齢的に指導者としては今回の就任が恐らく最後になると思いますので、ビーチサッカー日本代表をラモス瑠偉とともに応援したいですね。以上ラモス瑠偉の現在について紹介しました。