竹原慎二さんの現在について
竹原慎二さんといえば、日本人初のボクシングミドル級世界王者として格闘技ファンの間では別格の存在として一目置かれていました。しかし当時誰も勝てると思っていなかったこともあり、試合はテレビ東京での深夜の録画中継のみ、引退してガチンコで知名度を上げるまではその偉業が報われることはありませんでした。
現在はどうされているのでしょうか。
Contents
竹原慎二の現在
後述する病気も克服し、現在はツイッターやyoutube、時折出演するテレビにてファンに元気な姿を見せてくれています。
老眼じゃ
ダイソーで100円の老眼鏡 pic.twitter.com/DkNIVYoQcl
— 竹原慎二 (@shinji_take125) 2019年7月26日
ご本人のツイッターアカウント。
フォロワー数は3650人と竹原慎二さんの知名度と発信頻度の割に少ないですが、ブログやyoutube更新のお知らせが多かったのでファンはツイッター以外でフォローしているんだと思います。
畑山隆則さん、渡嘉敷勝男さんと一緒に出演しているyoutubeチャンネル。こちらは登録者5.4万人と中堅ユーチューバーとして持ち味を発揮しています。畑山隆則から「チキン」「昔は髪があった」とイジられ放題ですが、気心しれた仲故のやり取りなのでしょう。
はっちゃけすぎて協栄ジムの金平会長にキレられるなど、テレビで見られない姿も見せてくれています。
タレント竹原慎二は面白いのか ガチンコでブレイク
竹原慎二さんは強面に反して、内面は畑山隆則が「気が小さい」と言う程優しい方で、そのギャップに天然ボケっぷりが乗っかりテレビ的には使いやすいキャラクターとして、ボクサー上がりのタレントとしてはかなりの成功例です。
レギュラー番組こそないですが、定期的に全国放送のテレビ番組に出演されています。
系統的にはガッツ石松や具志堅用高、輪島功一をややマイルドにした感じでしょうか。ボクサーならではのポンコツぶりは現役時代とは違ったファン層を獲得しています。
藤野と竹原がこんな笑顔なんて考えられへん笑 pic.twitter.com/XvHhGyB4Sz
— なかやゆうと (@A___RanYou) 2016年9月23日
ガチンコに出演していた藤野大作さんと(藤野さんは現在整体師)。
ガチンコ出演時はまだポンコツぶりがバレておらず、ただひたすら怖く強い元ボクサーとして不良生徒たちを束ねていました。ガチンコ生徒が束になっても勝てないのは間違いないですが、キレている竹原さんの顔がいつも汗だくになっており、本来この方は優しい方で、こんなことしたくないのではないじゃないかと、幼心に観察していたのを覚えています。
世間にはヤラセと後年ネタにされる番組ですが、竹原慎二さんとしては恐らくかなりの恩義を感じているはずです。ボクシングミドル級世界王者になったにも関わらず、上述したような深夜の録画中継のみで、引退後日サロのバイトをするなど、当時は本当に不遇でした。
そんな状況を打破させたのがこのガチンコへの出演です。
ここで知名度を爆発させた竹原慎二さんは、ボクサー上がりのタレントとして盤石の地位を固め、ベルト獲得から数年遅れて労力に見合った経済的対価を得ることになります。
サウナとじゃあのブログ 成功の理由
常にスポーティーなスタイルの俺氏は
竹原慎二プロデュースのサウナスーツを購入した。
さっそくジョギングを試みたが100mも走れない。
40mくらいで歩いてしまう。
しかしさすがの俺氏は急遽ウォーキングに変更したが
途中でタバコを吸いながら帰ってしまった。
そして今日行かなかった🍺 pic.twitter.com/SRhMdCedH9— ネバーマインド(翆萌ゆる心の俺氏) (@white_phantom3) 2017年8月5日
竹原慎二プロデュースのサウナスーツと、「じゃあの」を流行させたブログでも有名です。
畑山隆則さんが言っていたように、「ボクサーは世界王者になるとファイトマネーだけでなく、元世界王者の肩書が何億円ものお金を生み出す」の言葉通り、その肩書によって竹原さんは様々な局面で成功されたんだと思います。
強さをカストロ戦で証明
日本人では村田諒太が獲得するまでは歴代の中で唯一のミドル級王者でした。
ベルトをかけて戦ったホルヘカストロはとにかく頑丈な選手で、竹原慎二と対戦するまではダウン経験もなく、プロデビュー前に交通事故で医者からボクシングは一生無理と言われたという話もある程なのですが、結局引退する2007年まで144戦も試合を重ねています。
試合でのタフネスぶりもそうですが、そのキャリアからは生物として頑丈さも感じさせます。
ただしナチュラルに頑丈な選手にありがちな調整力不足も彼の特徴で、竹原慎二との試合でも練習せずに勝てるとかなり油断していた経緯はあったようです。
実際の試合。竹原慎二さん眼光鋭く本当にカッコいいです。試合ではいつも日の丸のハチマキを巻いてリングに上がっていました。
竹原慎二さんは本人も自分は気が優しいと認めていましたが、同時に勇敢さも兼ね備えていたので、試合では一切チキンぶりを見せることなく果敢に強豪選手と打ち合っています。恐怖を克服し前に出るその姿はファンを痺れさせてくれたはずです。
村田諒太と竹原慎二は国内選手から別格の評価
こちらは村田諒太選手の強さと語る胡朋宏。後にミドル級日本王者になり国体でも優勝していた胡朋宏さんですが、スパーリングでいっちょかましてやろうと本気で仕掛けたら何もできず返り討ちにされたようです。他にもとにかく昔から規格外だったと述懐されていました。
竹原慎二さんも昔から国内では別格の強さで、k1でも活躍した天田ヒロミさんが大学でボクシングをやっていたころに、世界戦でジョッピーに負けた竹原慎二さんを見て、あんなに強い竹原さんであれなんだから俺じゃ無理だなとボクシングの道をあきらめ、公務員になろうとしていた逸話があります。(天田ヒロミは石井館長の誘いでk1へ)
ボクサー竹原慎二のスペック
体のサイズ、耐久力、ハンドスピード、パンチ力、左ボディ、右の打ちおろしストレート、この辺はミドル級世界王者の水準に達していました。
身長186センチ、リーチ187センチとフレームが大きく優位に立つ事が多かったです。打たれ強さについては本人が「そんな打たれ脆いって程ではない」と謙遜していましたが、試合を見る限りではかなり打たれ強い部類かなと思います。パンチの回転力はありませんでしたが、一発一発のキレはあり、必殺の左ボディと右ストレートは世界戦でも大きな武器になっていました。
目の病気がなければ引退となったジョッピー戦ももう少しうまく戦えたはずです。
畑山隆則のパンチではびくともしていなかったボビーオロゴンの軽いジャブで戦意喪失させていました。
短所は全体的なスピードと単調なコンビネーション等でしょうか。
但し日本には重量級のボクサーが極端に少なく、今の村田諒太選手のような大手ジムのバックアップもなかったため、世界標準の環境で育成されていたら、更にスケールの大きなボクサーになっていた可能性は高いです。素材としては日本人で傑出したレベルだと思います。
そういう意味では竹原慎二の一番の弱点は、所属していた沖ジムの業界内での力不足ぶりだったのかもしれません。
竹原慎二のyoutubeチャンネルは面白いのか
面白いですが賛否あります。
我々が憧れたボクサー元世界王者の3人がわいわいやっている姿を見せてくれることや、当時の舞台裏話はファンにとって十分にみる価値のある動画といえるでしょう。
ただしボクシングの技術論に関してはあまり踏み込んでいませんし、世界のボクシング事情にも3人とも割と疎い(例えばミゲールコットの名前を間違えてもツッコミが無かったり)ので、エキサイトマッチでの試合観戦を趣味にしている、マニア的なボクシングファンにとっては物足りなさもあるかもしれません。
まだ解説間もないチャンネルなので更なる飛躍に期待しています。
嫁との結婚とラブラブぶり
1997年にご結婚されています。
子供も二人(息子さんが22歳、娘さんが19歳)と2020年のブログにて紹介されていました。(https://ameblo.jp/shinji-takehara/entry-12580979520.html?timestamp=1583760888)
3月9日が結婚記念日のようで、
数えきれないくらい喧嘩して何回離婚騒動になったことか
あの頃はお互い若かったな〜
残り人生女房と仲良く楽しく過ごす予定です
とお嫁さんへの愛情を表現されていました。48歳でこんなこと言える旦那様なかなかいないと思います。
膀胱がん克服 医者との裁判
40歳を過ぎたばかりでしたが頻尿の異常を感じ、長年信頼していた医者の元で検査したところ異常なしだったそうですが1年後に血尿が出て別の医者に検査してもらったところ、進行した膀胱がんが発見され、最初の医者とは後々裁判での争いになっています。
膀胱がんになった竹原慎二氏から、上から目線の総合病院の担当医の話を聞いた畑山隆則氏(元ボクシングWBA世界スーパーフェザー級王者)。畑山氏が竹原氏に言った一言、「そんなヤブ医者、やめろよ」😊https://t.co/eAkCp2uaem pic.twitter.com/kjIwWGEUah
— 核シェルター無き日本 (@kawanya62) 2017年10月1日
膀胱炎の診断はミスで、1年後にはステージ4の膀胱がん、5年生存率25%という事実を突きつけられます。
そんな2人目のお医者さんも上から目線で、命を預けていいか不安な日々だったとインタビューで答えておられました。そんな折、後輩の畑山隆則さんが「そんなヤブ医者やめろよ」といいお医者さんを紹介してくれ、その3人目の医者の元でようやく前向きな気持ちで治療を開始することができたようです。
上述したように畑山隆則さんは先輩にもぶっきらぼうですが、2人の間にはこのような信頼関係があります。手術も無事成功し、転移の可能性が高い術後2年の山も越えて治療は順調のようです。
誤診した医者との裁判については、時折自身のブログにて経過を明かされていました。https://ameblo.jp/shinji-takehara/entry-12583121827.html?timestamp=1584537979
竹原慎二さんや多くのファンの納得のいく結果ではなかったではなかったですが、現在はセカンドオピニオンの重要性などを世間に伝える、新たな役割もこなされています。以上竹原慎二さんの現在でした。